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東京地方裁判所 昭和60年(ワ)12602号 判決 1989年9月12日

原告 株式会社 佐伯

右代表者代表取締役 佐伯準一郎

右訴訟代理人弁護士 竹内康二

同 西村國彦

同 長尾節之

同 栗宇一樹

同 堀裕一

同 青木秀茂

同 安田修

被告 日進鋼機株式会社

右代表者代表取締役 吉崎英朋

右訴訟代理人弁護士 尾崎昭夫

同 武藤進

同 額田洋一

主文

一  被告は原告に対し、金一〇億〇九九〇万〇二七二円及びこれに対する昭和六〇年一一月一日から支払済みまで年六分の割合による金員を支払え。

二  訴訟費用は被告の負担とする。

三  この判決は仮に執行することができる。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

主文同旨

二  請求の趣旨に対する答弁

1  原告の請求を棄却する。

2  訴訟費用は原告の負担とする。

第二当事者の主張

一  請求原因

1  原告は水産物の加工・販売及び輸出入並びにその運搬等を目的とする株式会社であり、被告は食料、酒類その他飲料、農林水産物、畜産物及びこれらの製品の売買並びに輸出入等を目的とする株式会社である。

2  原告は、昭和五五年一一月ころから、東京都港区芝二丁目二四番一号所在の指田ビル二階に事務所を置く「日進鋼機株式会社食品事業部(事業部長=加島浩次こと高坂浩次、以下「加島」という。)の発注に基づき、継続的に魚介類の販売をして来たものであるが、昭和六〇年四月一〇日及び一二日並びに同年六月二六日から同年九月一八日までの間、同事業部の発注により、別紙Ⅰ「取引明細表」記載のとおり、同表の「品名/規格」欄記載の魚介類を、「個数」「重量」欄記載の数量、「単価」欄記載の単価(ただし「単量」欄の数値が〇・〇〇となっているものは、「重量」欄記載の数量が単量となる。)、「金額」欄記載の代金額で売り渡す旨の売買契約を締結し、そのころ各商品を引き渡した。右取引に基づく売買代金の総額は、同表記載のとおり金一〇億〇九九〇万〇二七二円である。

3  被告は、次のいずれかの理由により、右取引に基づく買主の責任を負担すべきものである。

(一) 被告は、昭和五四年に食品事業部を設置し、これを構成する三名の従業員(加島以下、浅野及び道村)を内部的統制ないし管理に服せしめ、右従業員に対し水産品の売買取引につき包括的な権限を授与していた。すなわち、指田ビル二階に事務所を置く日進鋼機株式会社食品事業部は被告会社の一営業部門であって、これを構成する従業員は商法第四三条所定の商業使用人であり、本件の取引を行なうにつき代理権を有していた。

(二) 指田ビル二階の「日進鋼機株式会社食品事業部」が被告会社の一営業部門ではなかったとしても、

(1) 被告は、昭和五四年ころ加島との委任契約に基づき、同人が水産品の売買取引について包括して被告を代理し、日進鋼機株式会社食品事業部の名称で売買取引をする代理権を付与した。

(2) 仮に、被告が代理権を付与したものではないとしても、被告は、加島が日進鋼機株式会社食品事業部長を名乗って取引を行なうことを許諾し、又は少なくとも同人が右肩書きを使用していることを熟知しながら、これを放置していた。したがって、被告は、同人に水産品の売買取引に関しての代理権を授与したことを表示したものである。

(三) 本件の売買取引の買主が大海物産株式会社(以下「大海物産」という。)であったとすれば、原告は、これを被告の食品事業部であると誤認して取引を行なったものであるところ、被告は、商法第二三条の規定に基づき、その責に任ずべきである。

(1) 大海物産は、前記指田ビル二階に事務所を有するが、同事務所の入口には「日進鋼機株式会社食品事業部」の看板が掲げられており、その代表取締役である加島は、原告との取引の開始時点において日進鋼機株式会社食品事業部長であると自己紹介し、原告に対して商品を注文する際は、常に同食品事業部の名称を使用した。

(2) 被告会社の常務取締役藤田正は、右指田ビル二階の大海物産に日常的に出入りしていたから、大海物産が「日進鋼機株式会社食品事業部」の名称を使用して取引を行なっているのを熟知していた。したがって、被告は大海物産が被告の名称を使用して原告との取引を行なうことを許諾していたものである。

よって、原告は被告に対し、売買代金一〇億〇九九〇万〇二七二円及びこれに対する訴状送達の日の翌日である昭和六〇年一一月一日から支払済みまで商事法定利率の年六分の割合による遅延損害金の支払いを求める。

二  請求原因に対する被告の認否

1  請求原因1の事実は認める。

2  同2の事実は否認する。被告は、原告との間で魚介類の取引を行なったことはない。原告主張の取引は、すべて指田ビル二階に事務所を置く大海物産が売買の当事者となって行なった取引である。また、別紙ⅡのA表及びB表記載の商品は引渡しがなされていない。

3  同3(一)の事実中、被告が昭和五四年ころ食品事業部を設置したことは認めるが、その余の事実は否認する。加島らが被告の従業員であったことはないし、被告が同人らに対し代理権を授与したこともない。

4  同3(二)の事実中、被告が水産品の売買取引につき加島に委任した事実のあったことは認めるが、その余は否認する。

5  同3(三)の事実中、大海物産が指田ビル二階に事務所を有しており、同事務所の入り口には「日進鋼機株式会社食品事業部」の看板が掲げられていたことは認めるが、その余は否認する。被告は、大海物産が原告と取引をするにつき被告の名称を使用することを許諾したことはない。

三  抗弁

1  被告は、昭和五五年九月ころ食品事業部の規模を縮小し、訴外かながわ生活協同組合(以下「かながわ生協」という。)からの注文があった商品に限り、加島が代表取締役に就任した大海物産からのみ仕入れを行ない、かながわ生協以外には販売しないこととした。そして、被告は、同生協への販売業務を大海物産に委託し、その限度において「日進鋼機株式会社食品事業部」の名称を使用することを認め、加島が失踪するまで、大海物産→被告→生協という販路で取引を継続した。

2  右のような販売形態は、別紙Ⅰ記載の取引以前、既に五年近くも行なわれていたのであり、しかも原告は、昭和五七年二月一五日以降は、大海物産から代金の支払いを受けていたのであるから、原告は、加島には代理権がなく、また被告を代理してもおらず、買主が大海物産であることを知っていた。

3  仮に、原告が買主を被告と誤認していたとしても、以下の事情に照らすと、原告には重大な過失がある。

(一) 本件の取引は、継続かつ大量の取引であるにもかかわらず、原告は取引の開始に当たり、取引の相手方の確認、被告への挨拶はもとより、基本取引契約書も取り交わしていない。

(二) 前記のとおり、昭和五七年二月一五日以降は、継続して大海物産名義で代金の支払いがなされているのであって、被告本社の経理部に連絡しさえすれば、代金を支払っているのが被告でないことは直ちに判明することであるにもかかわらず、原告は、買主と代金支払人との食い違いを確認していない。

(三) 代金の支払いは、当初二〇日締めの翌月一〇日払いであったのに、昭和五七年、八年ころからは何回かに分割されるようになり、昭和六〇年六月からは分割の回数が異常に多くなっている。原告は、被告の転売先がかながわ生協であることを承知しているのであるから、このような不自然な分割払いに疑問をもち、調査すべきであるのに、全く調査していない。

(四) 原告の売掛帳簿によると、昭和五九年一二月の売掛残高が金六億三六〇〇万円余あり、昭和六〇年一、二月はやや減少するものの、同年三月には金七億二〇〇〇万円余に増大したのに、同年四月の売上は金四億六五〇〇万円余に上っている。このような売掛残高と売上高の異常な増大にもかかわらず、原告は、十分な調査もせず、漫然取引を継続していた。

(五) 原告は、昭和六〇年六月には株式会社食品速報から被告の調査報告書を受け取っており、この報告書によれば、原告の取引の相手方が大海物産であることは明らかである。少なくとも、この時点で取引の相手方に疑問をもち、被告に対し直接真偽を確かめるなどの措置を取るべきであり、そうしていれば別表Ⅰ記載の取引は行なわれなかった筈である。

4  仮に、原告が主張する売買契約について被告が責任を負わなければならないとしても、

(一) 本件の取引は、かながわ生協の注文により原告に発注されたものであり、発注後速やかに目的物の引渡しがなされなければ契約の目的を達しない確定期売買であるところ、別紙ⅡのA表及びB表記載の商品については引渡しがないまま時期を過ぎてしまったのであるから、契約は解除されたものとみなされる(商法第五二五条)。

(二) 別紙ⅡのC表記載の商品については、返品した。

(三) 別紙ⅡのA、B、C表記載の各商品については引渡しがないから、被告は代金の支払いを拒絶する。

四  抗弁に対する原告の認否・反論

1  抗弁1の事実は不知。仮に、被告が食品事業部の規模を縮小し、その結果、商業使用人の代理権に制限を加え、又は代理権を消滅させたとしても、善意で本件の取引関係に入った原告に対抗できない(商法第四三条第二項又は同条と民法第一一二条の重畳適用)。

2  同2及び3の事実中、昭和五七年二月一五日以降の代金の支払いが、大部分「タイカイブッサン」名義で振り込まれるようになったことは認めるが、その余の事実は否認し、主張は争う。従前は、原告の銀行口座に被告名義で振り込まれていたのに、右のように変更されたので、原告が加島に説明を求めたところ、同人は、被告は鋼材関係が中心の会社で新日鉄との取引があり、その関係で新日鉄から監査を受けた際、なるべく鋼材関係を中心とするよう指導されたため、振込名義だけを大海物産にしたまでで、あくまでも事業の主体は被告である旨の説明があり、原告はこれを信じて取引を継続していたのであり、原告に過失はない。

3  同4の(一)の事実は否認する。原告が指摘する別紙ⅡのA表及びB表記載の各商品についても引渡済みである。

4  同4の(二)の返品の主張は、すべて理由がない。

(一) 六月二四日付けのムラサキロールについて

右商品が返品されていることは認めるが、これは原告が本件で請求している別紙Ⅰ「取引明細表」記載の取引外のものであり、しかも実際にも返品扱いで計算されている。

(二) 七月六日付けの冷白鮭から七月八日の帆立紐までについて右商品が返品されたとの主張は否認する。

(三) 七月八日付けのムラサキイカロール及び七月一一日付けのサワラ切身について

右商品が返品されていることは認める。しかし、これらの商品については、別紙Ⅰ「取引明細表」の中で返品として扱い、代金から控除してある。

(四) 七月一九日付けのムラサキロール外について

右商品が返品されたとの主張は否認する。もっとも、被告の主張が八月一九日付けというであれば、これらの商品が返品されていることは認めるが、すでに別紙Ⅰ「取引明細表」の中で返品として扱い、代金から控除してある。

5  同4の(三)の主張は争う。

第三証拠《省略》

理由

一  請求原因1の事実は、当事者間に争いがない。

二  先ず、本件の取引がなされるに至った経緯及び取引の態様について見るに、《証拠省略》によれば、次の事実が認められる。

1  昭和五五年春ころ原告会社の晴海工場に、かねてから原告と取引のあった川達水産株式会社の斉藤社長の紹介で、加島が訪れ、同工場長の杉戸勝美と面談した。加島は、「日進鋼機株式会社食品事業部」との肩書の印刷された名刺を差し出し、同事業部の責任者であると自己紹介したうえ、かながわ生協に鮭を販売しようと計画しているので、その仕入れをしたい、との申入れをした。原告会社では、銀行に照会するなどして、被告会社の信用状態を調査し、同年五月ころ、加島の名刺に印刷されていた食品事業部の電話(四五二―二一〇一)を通じて加島に対し、取引をしてもよい旨の回答をした。

2  加島が原告に対し具体的に秋鮭の注文をしてきたのは同年九月になってからであるが、それを機に同年一〇月ころ、原告会社の杉戸工場長は、東京都港区芝二丁目二四番一号所在の指田ビル二階の日進鋼機株式会社食品事業部事務所を訪問した。事務所の入り口扉には、「日進鋼機(株)食品事業部」と大書された看板が掲げられており(このことは当事者間に争いがない。)、加島の説明によると、同事業部は加島のほか、発注納入の事務や配達等を担当する道村及び経理担当の浅野の合計三名の態勢で仕事をしている、とのことであった。また、原告が、食品興信所に依頼して得た被告会社の調査結果も、特に警戒すべき点が見当たらなかったので、取引をすることとした。同年一一月下旬ころから出荷を始めた。

3  このようにして、原告は同年一一月下旬ころから出荷を始めたのであるが、具体的に品目・数量を特定した発注は、すべて「日進鋼機株式会社食品事業部」の加島又は道村から電話で原告の晴海工場になされ、その電話で決められた日に、買主側から指示された運送業者(大部分は株式会社薩南陸運)が引き取りにくるので、原告側担当者の指示によって商品が引き渡され、同時に被告宛の送り状が発行される。単価は、一ないし三か月毎に加島と杉戸工場長との間で取り決めており、出荷した品目・数量に応じた金額を記載した請求書が原告から被告宛に送られ、代金は二〇日締めの翌月一〇日払いで、富士銀行築地支店の原告の口座に「ニッシンコウキ」名義で振込みがなされる。

4  取引の形態は右のとおりであったが、昭和五七年二月一五日以降は代金の大部分が「タイカイブッサン」名義で振り込まれるようになった(このことは当事者間に争いがない。)ため、杉戸工場長がそのころ加島に対し、その点の説明を求めたところ、同人は、被告は鋼材関係が中心の会社で新日鉄との取引があり、その関係で新日鉄から、食品関係の仕事は好ましくないとの指導を受けたため、振込みの口座だけ大海物産の口座を使わせてもらうことにしたが、それ以外のことは従前と同じで、被告との取引であることには変わりがない旨の説明があった。その後、代金の支払いが一〇日締めの翌月一〇日払いに変更され、また毎月の支払いが何回かに分けて行なわれるようになったものの、以上のような形態による鮭その他魚介類の取引が昭和六〇年九月中旬まで継続した。その間、昭和五七年五月ころからは、前記食品事業部の経理担当者(浅野)が、納入された各品目に対応する毎月の支払内訳書を作成して、ファックスで原告宛に送付しており、また、昭和六〇年二月原告が同食品事業部に対し、同年一月末日現在の未払残高が金五億三五八六万八三九四円であることの確認を依頼したところ、「日進鋼機株式会社食品事業部」の記名印及び社判のある確認書が原告宛に返送されてきた。

三  右認定の事実によれば、原告は、指田ビル二階に事務所を置く「日進鋼機株式会社食品事業部」の責任者と称していた加島又は同人の指示を受けた道村の注文に基づき、鮭その他の魚介類の売買を継続して行なってきたものであることが明らかであるところ、《証拠省略》によれば、別紙Ⅰ「取引明細表」記載の取引は、右のように行なわれてきた取引のうち、昭和六〇年四月一〇日及び一二日の取引並びに同年六月二六日から同年九月一八日までの間に行なわれた取引であって、すべて加島又は道村から同表記載のとおりの発注がなされ、同人らから指示された方法によって原告が引渡しをしたものであることが認められる。

なお、別紙Ⅰ「取引明細表」の「請求書番号」欄は、各品目に対応する甲第四号証及び第三一号証の一ないし七の請求書の番号であり、「送り状」欄は、各品目に対応する甲第五号証及び第三二号証の送り状の番号である。被告が引渡しがないと主張する別紙ⅡのA表及びB表記載の商品を別紙Ⅰの記載と対応させると、別紙Ⅰの各商品欄の末尾に、A表及びB表の区分に応じA又はBの符号で示したとおりであるが、Aのうち、八月一二日付けのサンマIQF、八月二四日付けの冷白鮭及び八月三一日付けの冷銀鮭については、同記載のとおり対応する送り状が存在しており、その余のAの品目については、確かに送り状は存在していないが、「送り状」欄に「無( )」として示された甲号各証により引渡しがあったものと認められる。また、Bの品目のうち、七月二日付けのイクラについては《証拠省略》によって、引渡しがあったものと認められる。

四  そこで次に、指田ビル二階に事務所を置き、「日進鋼機株式会社食品事業部」と称して商取引をしていた人的物的組織体と被告との関係について検討するに、被告が昭和五四年ころ食品事業部を設置したことは争いない事実であり、このことと《証拠省略》によれば、次の事実が認められる。

1  被告が食品事業部を設置したのは、昭和五四年八、九月ころ、かねて被告と取引のあった会社の専務取締役上村登が被告会社の常務取締役藤田正に対し加島を紹介し、加島が勤めていた会社の方針変更で取扱商品を縮小することになったが、加島が開拓したかながわ生協等に食品を入れる計画があるので、それを被告会社でやってみないか、との話が持ち込まれたことに始まる。右上村の提案によると、業務は同人が関係している休業中の会社「一興」が行ない、被告からは取扱手数料を払ってもらえないか、というのであり、被告は、経営の多角化のため、右提案を受けることにした。そこで、被告は食品事業部を設置して、仕入れ及び販売のすべてを右上村及び加島らに任せ(しかしながら、同人らとの間で雇用契約を締結したものではない。)、右上村は同年一二月二〇日、株式会社一興の商号を「大海物産株式会社」と変更して、自ら代表取締役に就任し、事務所を指田ビル二階に置いて業務を始め、被告会社食品事業部の名称を使用して仕入れ及び販売を行なった。なお、大海物産の本店所在地は、新宿区西新宿五丁目八番一三号とされたが、大海物産が同所において営業活動を行なっていたとの資料はない(大海物産の確定申告書によると、同所は税理士荒武主一の事務所ではないかと考えられる。)。

2  右のような形態でしばらく業務を行なったが、営業成績は芳しくなかったので、被告は、昭和五五年八月ころ、方針を転換して食品事業部の規模を縮小することとし、販売先をかながわ生協一本に限ること及び仕入れはすべて大海物産において行ない、被告は大海物産から買い受けて同生協に販売すること、ただし同生協への販売業務はすべて大海物産に委託すること、等の条件を右上村及び加島らに示した。同人らはこれを受け入れ、同年九月一〇日右上村が退いて加島が大海物産の代表取締役に就任し、同年九月二〇日を期して従来の取引先との債権債務を整理し、以後は大海物産が仕入れを行なう旨を取引先に通知した。

3  このようにして昭和五五年九月二一日以降は、加島が責任者となり経理担当の浅野及び発注納入の事務や配達等を担当する道村の三名で運営されることとなり、被告との関係では、大海物産が仕入れをし、大海物産→被告→かながわ生協という販路で取引をすることとなったのであるが、被告会社は、大海物産→被告→同生協の取引の実務については、大海物産に対し全面的に業務委託し、同生協との関係において、加島ほかの従業員が「日進鋼機株式会社食品事業部」の名称を使用することを認めていた。そして実際にも、同生協は、指田ビル二階の事務所を被告の食品事業部として取り扱い、被告に対する注文を右事務所の加島らに行ない、加島らも被告の食品事業部として右注文を受け、同生協に対する納品及び請求も被告の食品事業部として行なっており、これらのことは被告の承認するところであった。

4  ところで、被告が大海物産に取扱手数料を支払うといっても、取扱量に応じた一定料率による金額が支払われていた訳ではなく、大海物産で最低必要とする経費を認めてもらいたい、との加島の要請に基づき、加島らの給料のほか経費(指田ビル二階事務所の賃料、光熱費、運送業者に対する運賃等)につき、その支払いを必要とする都度、経理担当の浅野が被告会社の常務取締役藤田正に申し出て、被告が現金又は大海物産名義の当座預金に振り込む方法により支払いがなされており、このことは昭和五五年九月二一日以降も同様であった。また、大海物産→被告の取引に基づく代金の支払いは、被告から城南信用金庫新橋支店又は三井銀行三田支店の大海物産名義の当座預金に振り込まれるが、その預金は被告において管理しており、加島といえども同預金から自由に引き出すことはできなかった。他方、加島は同栄信用金庫の大海物産名義の普通預金を管理しており、かながわ生協以外の販売先からの代金はこの預金口座に振り込まれており、原告に対する支払いは、この預金から支払うか、又は藤田常務に依頼して右当座預金から支払っていた。

5  指田ビル二階事務所の入り口扉に掲げられた「日進鋼機(株)食品事業部」の看板は、藤田常務の承認の下に貼付されていたものであって、昭和六〇年九月下旬加島が失踪するまではそのままの状態であった(他方、事務所入り口には大海物産を表示する看板は取り付けられていなかった。)。事務所に設置されていた前記電話(四五二―二一〇一)は、電話番号簿には「日進鋼機(株)食品事業部」の電話として登載されており、また昭和五九年には同事務所にファックスが設置されたが、これは被告がリースにより設置したものである。

以上1ないし5で認定した事実によれば、指田ビル二階において「日進鋼機株式会社食品事業部」と称して商取引をしていた組織体は、昭和五五年九月二一日以降においても、被告会社の営業活動の一部である魚介類の取引を行なっていたものであって、被告会社の一営業部門としての実質を有していたものと認めるのが相当である。なるほど、そこで働いていた加島ほか二名の者が被告会社の従業員であった訳ではなく、また、被告会社が加島に対し、食品事業部長の肩書を与えていたと認めるに足りる証拠はないが、右事実によれば、被告会社は、同人らの給料及び営業活動による経費を、いわば丸抱えのようにして支払っていたのであるし、肩書の点も、《証拠省略》によれば、被告会社では部課長制度をとっていないというのであって、加島が右組織体の責任者であったとの実質には変わりがない。してみると、商法第四三条第一項の類推適用により、加島は被告会社の商業使用人であると認めるのが相当である。

五  もっとも、前段認定の事実によれば、加島の権限は、内部的にはかながわ生協との取引に限定されていたことが認められるが、以上の事実によれば、この点につき原告に悪意又は重大な過失がない限り、被告は買主としての責任を免れない。

1  被告は、原告の悪意を主張するが、二で認定した事実によれば、原告が、加島に原告と取引をする権限がないことを知っていたとは到底認められない。なるほど、被告は昭和五五年九月二〇日を期して従来の取引先との債権債務を整理し、以後は大海物産が仕入れを行なう旨を取引先に通知したことは前記のとおりであるが、原告が「日進鋼機株式会社食品事業部」と取引関係に入ったのはその後であって、原告に右通知がなされたとの証拠はなく、その他本件の全証拠を検討しても、原告の悪意を肯定するに足りる証拠はない。

2  被告は、原告の重過失を主張するので検討する。

(一)  《証拠省略》によれば、原告が被告会社食品事業部との間で取引を開始するに当たり、被告本社に挨拶をしたり、基本取引契約書の取り交しもしていないことが認められる。しかしながら、二で認定したとおり、原告が取引を開始するに当たっては、それなりの調査をしているのであって、右の事実をもって重過失があるとは到底いえない。

(二)  昭和五七年二月一五日以降の代金の支払いが大部分「タイカイブッサン」名義でなされるようになったとの事実は当事者間に争いないが、この点について、杉戸工場長がそのころ加島に説明を求めたところ、同人は、被告は鋼材関係が中心の会社で新日鉄との取引があり、その関係で新日鉄から、食品関係の仕事は好ましくないとの指導を受けたため、振込みの口座だけ大海物産の口座を使わせてもらうことにしたので、それ以外のことは従前と同じで、被告との取引であることには変わりがない旨の説明があったことは前記のとおりである。そしてその後も、同食品事業部から従来と同じように注文があり、右以外の点で従来と変わったところもなかったのであるから、原告がこのような加島の言を信じて取引を継続したのも無理もないところであって、原告に重過失があるとはいえない。

(三)  代金の支払いが当初二〇日締めの翌月一〇日払いであったのに、その後一〇日締めの翌月一〇日払いに変更され、また毎月の支払いが何回かに分けて行なわれるようになったことは前記のとおりである。また、《証拠省略》によれば、昭和五九年一二月の売掛残高が金六億三六〇〇万円余あり、昭和六〇年一、二月はやや減少するものの、同年三月には金七億二〇〇〇万円余に増大したのに、同年四月の売上げは金四億六五〇〇万円余に上っていることが認められるのであって、このような売上と売掛残高の増大ぶりは、いささか異常であるといわざるを得ない。しかしながら、《証拠省略》によると、昭和五八年秋ころ、原告の杉戸工場長は若干の疑問を抱き、かながわ生協の担当者に被告の納入価額等を問い合わせたところ、被告との取引関係については営業上の秘密であるとして答えてもらえず、そのままになってしまったこと、また昭和六〇年六月以降入金がなくなったことについて、加島から、同生協が海老名に工場を建てた関係で事務が輻輳し支払いが遅れているとの説明があったため、そのまま取引を継続したものであることが認められ、結果的には、当時被告本社に問い合わせをすれば、その後の取引をせずに済んだものと推測されるが、そのようにしなかったことをもって重過失があるとまではいえない。

(四)  《証拠省略》によると、原告は昭和六〇年六月ころ、株式会社食品速報から被告会社の調査報告書を入手していることが認められるが、この報告書によっても、指田ビル二階に置かれていた「日進鋼機株式会社食品事業部」の権限を問題視するような記載はなく、これによって原告の取引の相手方が大海物産であることが明らかであるとはいえない。したがって、この時点で取引の相手方に疑問をもち、被告に対し直接真偽を確かめるなどの措置を取るべきであり、そうしなかったことが重過失であるとする被告の主張は、採用できない。

(五)  そして他に、原告の重過失の存在を認めるに足りる証拠はない。

六  よって、被告は、別表Ⅰ「取引明細表」記載の取引に基づく売買代金の支払義務があるものというべきところ、被告は、一部商品の引渡しがない旨及び一部商品は返品した旨主張をするので検討する。

1  被告は、別紙ⅡのA及びB表記載の各商品の引渡しがないことを前提として、解除及び同時履行の抗弁を主張するが、これらの商品についても引渡しがあったと認められること、三で示したとおりであるから、右抗弁は、その余の点を判断するまでもなく理由がない。

2  被告は、別紙ⅡのC表記載のとおり一部商品の返品を主張するが、以下のとおりであって、右主張もすべて理由がない。

(一)  六月二四日付けのムラサキロールについて

右商品が返品されていることは争いがないが、これは原告が本件で請求している別紙Ⅰ「取引明細表」記載の取引外のものであることは同表の記載から明らかであり、抗弁としては、主張自体失当である。

(二)  七月六日付けの冷白鮭から七月八日の帆立紐までについて

なるほど、これらの商品に対応する送り状には「返品」との記載がある。しかしながら、七月八日付けの送り状と対比すると、番号〇三九一二五の送り状に「返品」と記載した際、誤って下にあった番号〇三八八二八及び〇三八八二九の送り状に写ってしまったものと認められ、他に右商品が返品されたと認めるに足りる証拠はない。

(三)  七月八日付けのムラサキイカロール及び七月一一日付けのサワラ切り身について

右商品が返品されていることは争いがなく、これらの商品については、別紙Ⅰ「取引明細表」の中で返品として扱われ、本訴請求から控除されていることが明らかである。

(四)  七月一九日付けのムラサキロール外について

右商品が七月一九日付けで返品されたことを認めるに足りる証拠はない。もっとも、被告の主張が八月一九日付けということであれば、別紙Ⅰの「取引明細表」に対応する商品が存在しており、これらの商品が返品されていることは争いないが、すでに同表の中で返品として扱われ、本訴請求から控除されていることが明らかである。

七  以上示したところによれば、原告の本訴請求は理由があるから認容することとし、訴訟費用の負担について民事訴訟法第八九条を、仮執行宣言について同法第一九六条を各適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 原健三郎 裁判官 土居葉子 裁判官舛谷保志は、転補のため署名捺印できない。裁判長裁判官 原健三郎)

<以下省略>

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